あのヴィッキーだ、、、

1971年だっただろうか? 浅川マキの照明を担当されてた方に誘われて、
日本青少年会館で行われた、コンサートを見に行ったことがあった.
ある日本人ミュージシャン(下田逸朗)の帰国コンサートだった.
そこにアメリカから連れかえったと言う二人のシンガーが登場した.
一人は黒人の背の高い男性ゴスペルシンガー、 
そしてもう一人の女性シンガーがこの“ヴィッキー スー ロビンソン”だった.
そしてその後、京都で同じコンサートがあった。
その時どういう訳か僕は京都にいて、そのコンサートの裏方を手伝った。
会場は京都の能樂館。
そしてその打ち上げを、当時出入りしてた“GIE“でやることになってた。
何時ものセッションのように、
ブギウギピアノの安部ちゃんが最初演奏を始めたのだが、
“今夜は如何も緊張して、、”と一曲で止めてしまった.
そして、あとは、大石君、、と僕におはちを廻した. 
こうなったら破れかぶれ、、、と、
いつもの調子でギターを掻き鳴らしブルースを歌った.
狭いGIEのなかは、一瞬に盛り上がった.
そして二人のアメリカから来たシンガーは、僕の歌に“ぶあついハーモニー”をかぶせてきた.
“他にどんな曲が出来る??“
色んな曲を思いつく限り歌った. 
ヴィッキーはギターを取ってオープンチューニングにしてくれと言った.
G,D,と聴くと、D。 
そして素適な曲を歌い出した.
アットいう間に一時が過ぎた。
すっかり打ち解けた僕達は音楽が世界を一つにする事を実感して、
その夜は分かれたのだが、、、 
後日、.東京でもう一度コンサートで再会することが出来たが、
“今夜は如何するの??“に、、
“家が遠いから終電に間に会わなくなるから帰らなきゃ、、“
と分かれたのだが、女心を察する事のできなかった未成熟時代の思い出だ.????
その後、日本でアルバムも作ったが、アメリカに帰ったと聴いていたが、、、
そのヴィッキーが、、、 
歌うまかったもんなあ、、、 会いたいなあ、、、
と想いながら、、、、、歩く足どりはちょっと重くなった。