この1976年は、色んなアーティストが全米トゥアーを行ってた時期で、
その殆どが、それを、ライブLPとして発表した時期でもあった.
感謝祭の日のサンフランシスコでの ”ザバンド“ラストワルツ“に始まり、
ロス、ボストン、ニューヨーク、何処の場所でも、
一昨日、昨日、、とか、二日後、三日後のスケジュールで看板を見つけた。
それもタイミングが悪く、ぴったりの日ではなかったのだ.
その主なアーティストは、
ライクーダー、デビットブロンバーグ、デイブメイソン、
其々のアーティストの一番善い時期のライブ録音が聴ける.
それだけにボストンでのフィービースノウ、そしてダニーハザウェイの看板と、
ライブ予定表を目にした時は、何日か留まろうか、迷ったが、
ロバートの“又会いたいね、”の一言に気をよくして、
ニューヨーク、ナッシュビルを回って、再度ボストンに行き、
二つのライブを体験することにしたわけだ.

ラガーディア空港からボストンに降り立った時間は、もう遅かったので、
先日利用した同じホテルにチェックインした。
ロバートに電話を入れ、ボストンに帰ってきたことを連絡し、明日合う約束をした。
遅い夕食をすませ、ナッシュビルで入手したギターを爪弾きながらテレビを見ていると、
窓の外で、“パーン、パーン!!”と明らかに拳銃の発射音と分る音がした。
窓から覗いて見たが、裏通りが見えるだけだったので、
ドアを開け、非常階段の踊り場に出て見た.
五階の踊り場から見下ろすと、下の通りの飲み屋の入り口付近で、
女性を何人かの人が宥めている様子だった.その手には銃口を天に向けられた拳銃が握られている.
“おお、流れ弾にでも当ったら大変、、、“とドアの中に入って鍵をした。
テレビではフットボールの試合が続いていた。