NATIONALを入手後、

mrtasty2005-01-21

アメリカでも一番大きく、信頼の置けるヴィンテージギターディーラーと言ったら、
間違いなくナッシュビルの“GRUHN“と答えが帰ってくると思う.
1976年、11月、旅行会社に勤める友人に頼んでおいた
アメリカへの格安往復ティケットが手に入り、
家業に暇をもらって、23日間のアメリカ旅行を企てた.
行きと帰りの飛行機が決まってるだけのあてのない旅行だ.
10月も終わり位に本屋さんで、“楽器の本“という面白い本を見つけた。
それにはその当時、日本では殆ど知る事のできなかった、
アメリカのヴィンテージギターディーラーが紹介されていた。
その中でも一番に目を弾いたのが、この“GRUHN”だった.
その3ヶ月前に手にした“MADE IN USA“ のカタログ雑誌とが、
あてのない旅行のガイドブックとなった。
その旅立ちの日、久しぶりに東京に行き、秋葉原で、カセット電助を入手し、
夕方、アメリカへ旅立つべく羽田に就いた.
出発予定時刻は、夜10時、インドネシア航空だったと思うが、
ハワイまで行き、国内線に乗り換えて、ロスに入る予定だ.
しかし、10時になっても搭乗案内がない、
結局、使用機が遅れて明日の朝の出発となった。
会社の用意したバスで、東京のホテルに就いた.
料金会社持ちのディナーのなんと美味しかったことか、、
明日からの貧乏旅行を思うと、今、食べるだけ食べておこう、、、
京都からの相室の紳士は、サンフランシスコのシリコンバレーに仕事が決まり行く所だ.
そして朝、ホテルニュージャパンを出た. (そう、その何年か後に火に包まれた、、)
バスの中で一人の女性を紹介された.
テキサスにお嫁さんに行くそうだ.でも飛行機が遅れたので、
ロスからの飛行機の手筈が変わって困ってるとの事.
ハワイに付いたら、その飛行機会社を探して交渉を引き受ける事になった.
彼女は英語が話せない.
始めての海外旅行、機内は快適だった.
真夜中ハワイに就いた。 
広い空港の中を走り回り、彼女がロスから乗る航空会社の窓口を探した.
そしてなんとか、ロスの窓口で交渉すれば、、、と言う所でロス行きの国内線にのった。
席に付き落着いた所で、ヘッドフォンを付けダイヤルを廻すと、
“ベッシースミス”の歌声が聞こえるではないか。
まるで、WELL COME TO THE BLUESLAND!!
  って向かえてくれてるようだった.