NATIONALの話、、、

始めての国際電話。緊張しないわけがない。
受話器を取る前に、伝えたい事をメモ紙に書いた。
ハローで始まり、先日手紙を書いた日本人である事、
そして送って頂いた写真の真中のモデルが欲しい事、
代金は送料も含め銀行振り込みで送る事、
送金に一週間くらい懸かる事、航空便で送ってもらいたい事、
などなど。 こちらが話したい事はこれくらいでも、
先方が聞いて来たら、答えられるかどうか、心配がよぎったが、
その時はどうにかなる筈って思い、、どきどきする心を押さえて、受話器を取った。
日本の交換に先方の電話番号を告げ、こちらの電話番号も伝えて、
“受話器をおいて暫くお待ちください。“の声で、受話器をおいた。
ものの10秒もしない内に呼び出しのベルがなった。
受話器をとると、
“0985−86‐XXXXですね、お申し込みの国際電話を呼び出しております。“
の事務的な声、、、その響きにもドキドキは増徴された。
”PULULU,,,PULULU 、、HELLO”と聞こえるが早いか、
”HELLO, this is Takafumi Oishi”と、
用意した分を口早に読みあげる調子で伝えた。
最初、相手は驚いた様子であったが、こちらの話を聞き終えて、
改めて間を置いて、”Hi, nice to talk to you“ と答えてくれた。
なにを話したかも覚えもしない始めての国際電話が終わった。
相手が仕事に出る前にと思い、
アメリカのBOSTON(東海岸)、の朝の時間に電話をしたから、
電話を終えた時間は深夜、皆、眠っている時間に、
一人だけ、気持ちが昂ぶったままで、布団に入っても眠れなかった事を覚えている。
そして待つ事、一週間、待望の手紙が届いた。
こちらがお願いした代金の明細、送料、そして銀行口座番号が書かれていた。
早速宮崎市内の銀行本店に出向き、国際送金をお願いした。
窓口を指差され、“送金チェックにされますか?電信にされますか?“
”????”の顔に、“送金の種類ですが?“ “早いやつで、、“
“それでは電信送金で、、、“ 
1976年、アメリカ建国200年の年で、日本にもその影響か、
街にUCLAのT−シャツが溢れる前の時期だ。